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あむりたのしずく

あむりたのしずく

2・変化を受け入れる(妊娠とつわり)

[1997年・創生会レポート掲載]

  久しぶりに会社に顔を出すと、津留さんとパートナーが来ていて「おめでとう!」と言ってくれました。普段は余計なことは口にしない津留さんですが、帰り際にぽつっと「大丈夫、何も心配しなくていいよ。全て最善の方向に行くから。安心していればいいよ。」と声をかけてくれたのです。

  その一言で私は目が覚めました。「ああ、私が求めていたもの、一番自分自身に言ってあげたかった言葉は、これだったのだ。」不安がわきあがる度に繰り返しこの言葉を唱えるうち、心にわだかまっていたもやもやがすっきりと晴れ、勇気や遊び心が戻ってきました。そして、津留さんのパートナーのリーディングという形で、先の問いかけの答えがやって来たのです。「この赤ちゃんの魂はユリスさんと言い、地球で肉体を持つのは今回が初めて。とても古い大きな魂で、裕子ちゃんとは地球の創造を共に見守っていた仲間であり、縁が深い。地球の波動が急激に上昇する今この時期に、地球の変化をサポートするため、地上に降りたいのだそうだ。」

  私は昔から何度も見ていたビジョン、宇宙船から美しい地球に溢れるほどの愛を送り、我が子のように慈しんでいるシーンを思い出し、鳥肌が立ちました。細胞の一つ一つがざわめいています。全てがつながった、ベストなタイミングで事が起きてきていると確信できました。もう、迷いはありませんでした。

  その頃、父は私の体調の悪さを見かねて、しきりに病院へ行って検査を受けろと勧めていました。胃ガンか何か深刻な病気かもしれないと思ったようです。私は大丈夫と断り続けていましたが、とうとうある日父の怒りが爆発し「なぜそう頑なに拒絶するんだ。首に縄をつけてでもつれていく!」とすごい剣幕で詰め寄られました。

  昔の記憶が瞬時によみがえり、首根っこをつかまれた子供のようにキュッと全身が縮み上がり、恐怖で心臓がドキドキするのを感じました。しかし同時に、そんな自分を遠い所からただ眺め、冷静に「父はこんなに私を心配してくれているんだなあ。言うのは今だ。」と感じているもう一人の自分がいました。

  先にリハーサルをこなしておいた成果でしょうか。私はインナーチャイルド(心の中で震えている小さな女の子の自分)を抱きしめつつ、より冷静な自分に意識をフォーカスして、父に話を切り出すことができました。 病気などではなくつわりであること、妊娠2ヶ月であること、この家を離れ一人で産んで育てるつもりであることを。

  私が男性とおつき合いしていることすら知らなかった父は、いきなりの爆弾発言に度肝を抜かれ「今はとても考えがまとまらないので、後でじっくり話し合おう。お前も頭を冷やしてよく考えろ。」と言って外出してしまいました。私はこの時すぐに家を出ることを決めました。ちょうど母が別居のため借りていた部屋があったのです。父と顔をつき合わせていてはお互いどうしてもコントロールドラマを演じ、感情的になってしまいがちなので、距離を置いて穏やかに心の声を聞き、それを伝えたかったのです。

  父のいない隙に置き手紙を書き、とりあえず荷物をまとめタクシーに飛び乗りました。つわりでくらくらしながらも、人生初めての大冒険にどこかワクワクしていました。私から電話で事の顛末を聞いた母は、家で途方に暮れている父に「娘が自分から心を開いて好きになれる人にやっと巡り会えたのよ。あの娘の瞳は曇っていないわ。」と言ってくれたそうです。その後、私と父は何度か手紙で気持ちを伝え合いました。手紙だと不思議に素直になれるのです。やがて父は、未婚で出産するという私の選択を、見守ってくれるようになりました。 
 
  一方で、彼とは家出をしてから数回話し合いました。彼は精神世界とは無縁の人です。「嬉しい気持ちはあるものの、自分は生まれてくる子に対して親らしいことをしてやれない。大人の都合で子供の人生にハンデを背負わせることになる。」と罪悪感から葛藤していました。私は「この子が私達の間を選んで来てくれたのだから、是非この世に誕生させてあげたい。片親がハンデになる生き方や環境など、私もこの子も選択しないだろうから。」と心の内をありのままに伝えました。

  そんな時です。彼と親しかった義理の弟さんが、突然の事故で若くして亡くなってしまいました。このつらい出来事から、彼は人生のはかなさと、それゆえの生命の輝きを肌で感じたそうです。迷いを吹っ切り、この子を産むことに賛成してくれたのです。まさに壮大な宇宙のシナリオを実感させるタイミングでした。

  さて、取り巻く状況が進展を見せる中で、つわりの症状は一向に改善されませんでした。津留さんのパートナーから「つわりがひどいのは母体がシフトしているから」と伝えられてはいたものの、「いつまでこんな状態が続くの?」とついつい気弱になってしまいます。そこで私は「4ヶ月に入ったら治る!それまではつわりにどっぷり浸ろう。」と自分で決めました。

  4ヶ月を目前に控えたある日、津留さん達は富士山でポータル(時空を越える架け橋となる光の通路)が開く日ということで、富士山周辺を訪れていました。私は一人、部屋で富士山に意識を向け、あらかじめ聞いておいた時刻に合わせて瞑想をしました。山頂に垂れ込めていた雲が晴れ、富士山そして地球が光を放ち、喜びが溢れてくるのを感じました。私も心から嬉しくなり、祝福と感謝の想いを伝えました。すると「長い間おつかれさまでした。もう大丈夫ですよ。楽になりますからね。」と優しく暖かい声が聞こえてきたのです。心地よい涙が流れました。流すほどに心身が癒されていくのがわかりました。浄化の涙でした。

なんとその日から症状は快方に向かい、ちょうど4ヶ月目に入った日から毎日出社できるほどになりました。つわりはきつい体験でしたが、そのお陰で6キロもやせるおまけつきで、その後の体重管理がとても楽になったのでした。ラッキー!





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